「退院したらご飯に行こう」── 検証東大病院 封印した死(10)

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その人の名は齊藤聡さん。東大病院カテーテル死「隠蔽」事件で、効果を期待できない危険な治療を受けて41歳で亡くなった。

職業は調理師。自分の店を持った経験もあり、常連客や従業員からも慕われていた。だが、仕事に打ち込んでいた2011年ごろ、「拡張型心筋症」と診断された。心筋の収縮力が次第に衰えていく原因不明の難病で、根本的な治療は心臓移植しかない。齊藤さんは、入退院を繰り返しながら仕事を続けた。

ワセダクロニクルがこの連載を始めて約2か月が経過した2019年1月24日、大手「マスコミ」が事件を初めて報じた。その翌日、編集部に1通のメールが届いた。

「各社の報道を見てすぐに、齊藤さんの事ではないかと思い調べたところ、ワセダクロニクルの記事にたどり着きました。手術直後は何度か連絡がありましたが、その後連絡が取れなくなり、友人達と心配しておりました。病院に問い合わせをしたり、直接、東大病院に行ったりもしましたが、家族ではないので何も知ることが出来ませんでした」

メールの主は、神奈川県に住む館林いずみさん(38)=仮名。大学生の時、同県秦野市内のチェーンの居酒屋で2年ほどアルバイトをした。そのとき店長だったのが齊藤さんだった。

「優しくて面倒見が良く、とても楽しい方でした。昨年8月に病院で会ったばかりでした」

私たちは館林さんと会うことにした。

拡張型心筋症と診断された齊藤さんは、国立国際医療研究センター病院への入退院を繰り返した。2016年には、暮らしてきた東京の街並みを病棟から写真に収め、インスタグラムに投稿した。写真説明は「舞い戻って来ちゃった」

2月9日、JR八王子駅近くのファミリーレストランで会った。館林さんのほかに、もう一人の女性が座っていた。都内の会社員、平井恵さん(36)=仮名=だ。館林さんと同時期に居酒屋でバイトをしており、やはり齊藤さんに世話になったのだという。

2人が居酒屋で働いていた頃、店長の齊藤さんは20代前半だった。2人よりも少し年上の齊藤さんは面倒見がよく、頼れる兄貴のような存在だった。2人とは音楽の趣味が一致した。ロックバンドHi-STANDARDなどの話で盛り上がった。

館林さんはいう。

「私は接客に慣れていなかったのに、店長に怒られた記憶はありません。いつも優しい人でした」

「大勢で賑やかに過ごすのが好きで、近くの河原や公園でよくバーベキューをしました。近くに借りていた家に私たちを招いて、鍋をご馳走してくれたこともあります。下ごしらえまでしてくれていて、本当においしかった。楽しい思い出しかありません」

やがて2人は就職が決まり、バイトを辞める。しかしその後も、齊藤さんとは連絡を取り合っていた。

齊藤さんはチェーン店をやめ、15年ほど前には神奈川県内で料理店を開いていたようだ。館林さんも平井さんも、この店をたびたび訪れた。

「カウンターが中心の落ち着いた店でした。魚料理がすごくおいしかった」

だが、2人とも仕事が忙しくなる。齊藤さんの店に顔を出すことも少なくなった。2018年8月に病院で面会するまで、10年ほど会っていなかった。

この10年の間に、齊藤さんを拡張型心筋症が襲った。神奈川県内の店は、そのために続けられなくなったのかもしれない。

それでも齊藤さんは、体調が安定すると、都内の飲食店などに勤めて働いた。

館林さんも平井さんも、齊藤さんの深刻な病気に長く気づかなかった。2018年初夏、齊藤さんがSNSで病状を明かしたことで、初めて知った。

齊藤さんはそれまでも、体調が芳しくないことや、入院したことをフェイスブックやインスタグラムなどで度々伝えていた。だが、病名はずっと隠していた。「周りに心配をかけたくなかったのだろうと思います」と館林さんはいう。

2018年8月、2人は齊藤さんを励まそうと食事に誘った。しかしその直前、齊藤さんは新宿区の国立国際医療研究センター病院に緊急入院となったため、計画は流れる。2人は見舞いに行った。

「病院のロビーで待っていると、齊藤さんが点滴のスタンドを押しながら、ゆっくり歩いて来ました。表情は明るく、1時間半ほど、昔の話で盛り上がりました。退院したらゆっくりご飯に行こうねって、約束していたのに……」

齊藤さんはその後、東大病院に移る。9月21日、金子英弘医師の心臓カテーテル治療を受けた。3日後の24日午後、館林さんと平井さんのところに、齊 藤さんから宅配便が届いた。老舗のカステラと、かりんとうの詰め合わせだった。

その日の午後7時50分、館林さんはお礼のLINEメールを送った。すぐに返信があった。お見舞いのお返しのつもりだ、という内容だった。

「目を覚ます可能性低くてお見舞い返し出来ないなあって、先に発注しといたら、目覚ました(笑)」

齊藤さんからのLINEは、それが最後だった。翌日未明には深刻な不整脈が頻発し、翌々日の午前には心肺停止状態に陥った。

亡くなった齊藤聡さん

=つづく

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