張り巡らされた「愛」の行方  【連載レポート】強制不妊(9)

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「愛の十万人運動」によって開所した小松島学園(初出:河北新報1960年4月8日付朝刊、著作権切れ)

宮城県精神薄弱児福祉協会は1957年の発足とともに、「愛の十万人運動」を始めた。約9ヶ月間で県内に17支部を作り、福祉協会の会員を集めていった。

支部の事務局は、福祉事務所、公立小学校、教育委員会、県の出張所の民政課などに置かれ、「官民一体」の県民運動となった。

翌1958年の9月5日、福祉協会の事務局は県内17支部で実施されている「愛の十万人運動」の活動状況を手書きの一覧表(*1)にまとめた。いわば支部別の成績表だった。

一覧表の縦軸は発足順に「支部名」。横軸は「運動目標」「入会状況」「今後の推進目標」。右端には、各支部の活動状況を分析した「摘要」も書かれている。

一番「成績が良い」のは、仙台市の南にある名取支部だ。会員数2,720人の目標を達成している。

もっとも「成績が悪い」のは、岩手県との県境にある栗原支部。6,240人の目標に対して、入会した会員は318人だ。

「摘要欄」をみると、各支部がどのように運動に取り組んでいるかを、福祉協会が具体的に把握しているのがわかる。

例えば、2,400人の目標に対して1,427人が入会した塩釜支部。松島湾の一部を抱える沿岸地域を担当した。

「支部長の熱意であらゆる団体が眞釼(しんけん)、目標達成近かきにあり。敬服の外なし」

4,000人の目標に対して960人が入会した宮城支部。仙台市近郊の沿岸部から内陸部までをカバーした。

「多賀城分会は町長率先し啓発につとめ60%を越(ママ)えている。秋保分会は目標達成 目下松島町分会が活動中」

3,200人の目標に対して、1,500人が入会した石巻支部。石巻支部は、飯塚淳子を強制不妊手術に追いこんだ石巻福祉事務所に事務局がある。

「石巻支部は支部一本で活動会費70%台に達した。目下緊急役員会を開き完納対策を講じつつあり」

目標会員数8万人に対して、表を作った時点で実際に加入したのは約4分の1。1万9,428人だ。

福祉協会は、自らテコ入れに乗り出す。翌年度の事業計画に「特に不振支部を目途に運動展(ママ) 本部役員総出動」と盛り込んだ。

それだけではない。

福祉協会は、宮城県との連携強化に乗り出す。

福祉協会の理事・幹事合同会議が1959年1月17日に開かれた。県内の自治体やPTAに協力を仰ぐため、県幹部と連名で文書を出すことを決めた。

「民生労部長(県民生労働部長のこと)、県教育長、県連PTA会長、本協会長連名で県下各町村長、地方教育委員会教育長、小、中PTA会長宛に協力方要望の書面を早急発送すること」(*2)

宮城県が、「優生手術の徹底」と「精神薄弱児収容施設の建設」を柱にすえた「愛の十万人運動」に深く関与していた実態を示すものだ。福祉協会は、1958年度の「事業報告書」で、「宮城県民生労働部長、県教育委員会教育長の協力により県下各福祉事務所、教育委員会出張所の直接的な後援により相当実績があがった」と感謝を示した(*3)

福祉協会は、「精神薄弱児」の収容施設を設立するため、県内に張り巡らせた網の目を駆使し県民から資金を集めた。

この「愛の十万人運動」で、県民から会費806万1,799円を集めた。寄付は265万993円になった(*4)。1957年の運動開始から7年目で、目標金額1,000万円を突破した(*5)。消費者物価指数ベースでみれば、今の4,000万円相当の金額だ(*6)。

一口100円なので、単純計算すれば文字通り10万人がこの運動に参加した。当時の宮城県の人口は約180万人だ(*7)。

福祉協会は会費集めと並行して、1959年に「精神薄弱児」の収容施設の建設を始めた。「愛の十万人運動」で得た641万2,000円を建設費の一部に充てた(*8)。残りの約2,500万円は、「お年玉年賀はがき」からの寄付金、仙台市からの補助金で賄った(*9)。宮城県も補助金を出していた(*10)。

そして、1960年4月1日、「精神薄弱児」の収容施設が開所した。それは小松島学園と名付けられ、「愛の結晶」と呼ばれた(*11)。

その小松島学園の一期生として、飯塚淳子が送り込まれた。

(敬称略)

[おことわり] 文中には「精神薄弱」など差別的な言葉が含まれていますが、当時の状況を示すために原文資料で使用されている言葉をそのまま使用しました。

=つづく

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[脚注]

*1 宮城県精神薄弱児福祉協会「事業概要:昭和33年9月10日現在」1958年。

*2 宮城県精神薄弱児福祉協会「昭和33年度事業報告書」1958年。カッコ内はワセダクロニクル。

*3 宮城県精神薄弱児福祉協会は同じ1958年度の「事業報告書」で「本協会の事業に深い関心をもたれ、直接、間接御援助をいただき得ることは事業達成上大きな支柱となり、まことに力強い次第で衷心感謝にたえない」とも記述している。

*4 宮城県精神薄弱児福祉協会「愛の十万人運動による会費収入調(1964年3月25日現在)」1964年。

*5 宮城県精神薄弱児福祉協会「愛の十万人運動による会費収入調(1964年3月25日現在)」1964年。

*6 日本銀行「教えて!にちぎん」、日銀ウェブページ(2018年3月14日取得、https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/history/j12.htm/)。

*7 宮城県の人口は1960年(3月末)の国勢調査で174万3,195人、1961年以降は宮城県住民登録人口(各年12月末現在)の記録がある。1961年~1965年は180万人前後で推移している。年齢別の統計が残る1960年国勢調査によると、宮城県の20歳以上の人口は100万121人。出典:宮城県震災復興・企画部統計課への取材、2018年3月13日、同14日。

*8 宮城県精神薄弱児福祉協会「児童福祉施設小松島学園について」1960年頃。

*9 宮城県精神薄弱児福祉協会「児童福祉施設小松島学園について」1960年頃。河北新報1960年4月8日付朝刊。

*10 宮城県保健福祉部子育て支援課2018年3月9日付回答。「小松島学園を設置した際に、県が補助金を交付していたことは確認できましたが、関係資料が不足しており、詳細についてはご指定の回答期限までのお答えができかねます」。

*11 河北新報1960年4月8日付朝刊。

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