(戒厳令の島から)あいつはいい奴だったーーバナナと日本人(2)

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市場の屋台で

コンポステラの町の中心部には市場があり、米や野菜、肉に魚、ランブータンやドリアなどの果物、タバコにサンダル、Tシャツなどを売っている。トライシクル(三輪タクシー)やハバルハバル(バイクタクシー)の乗り場もあり、人の賑わいは絶えない。近くには小学校や高校もある(*1)。市場のセブンイレブンは、下校時の夕方には生徒たちで大にぎわいだ。セブンイレブンの出入り口には警棒を持った警備員が店内の出入りをチェックしていた。

夕方(*2)、人の往来が絶えない市場の一角に、屋台が出ていた。この屋台でクィック・クィックを注文した。バナナ・ケチャップを混ぜた衣で卵を揚げた軽食だ。10ペソ(約20円、1ペソ=約2.1円)。

「統一労組ナマスファ」の組合員だったダニーボーイ・バウティスタ(当時33)が殺されたのは、この屋台でクィック・クィックを食べている時だった。2018年10月31日のことだ。

殺害されたダニーボーイ・バウティスタの似顔絵を掲げ、抗議する仲間たち=2018年11月28日、フィリピン・マニラ市内 (C)FoE Japan

4発の銃弾

彼はスミフルでバナナの収穫を担当していた。職場の仲間と一緒に、統一労組ナマスファのストライキに参加していた。

10月31日の夕方。ダニーボーイの職場のリーダーだったランディ・フヨナン(48) は買い物で市場にいた。町役場の辺りでいとこに出会った。いとこはフヨナンに「お前と同じ集落の人が殺されたようだ。知り合いじゃないか?」。

場所を教えられたフヨナンは近くの現場に向かった。もう人だかりができていた。

屋台のそばで、一人の男が横向きに倒れていた。誰だかわからなかった。

しばらくすると、警察がきた。現場検証のため、遺体の顔を撮影し始めた。顔が見えた。

「あっ、ダニーボーイだ!」

首の右側に1発、右腕に2発、そして背中に1発。計4発撃たれていたのが、フヨナンにもわかった。

殺害時間については錯綜する。フヨナンは「午後4時45分頃」といい、地元紙(*3)は「午後6時頃」、現場に駆けつけたナマスファの仲間たちは「午後5時30分から午後6時頃」。

現場にいた人たちから「なんで殺されたんだ」「俺たちの仲間じゃないか」などの声が聞こえた(*4)。

葬儀屋が来て遺体を引き取りに来た頃、時間は午後7時になっていた。

フヨナンらによると、ダニーボーイは午前11時には、組合員が集まる場所で料理を手伝った。コーラやフライドチキンを買ってきたり、いそがしく動き回った。昼食を食べ終わると、自宅に戻った。夕方、町で働いていた妻を迎えに行った。その途中で屋台に立ち寄った時に撃たれた。

私たちは現場近くで目撃者を捜した(*5)。「もうその時間は店を閉めていたから」「自分は知らない」。町の人たちと口は重かった。雑貨店の20代女性店員は「銃声が聞こえました。一度、外に出ましたが、怖くなってすぐに店に戻りました。不審な人物は見ませんでした」と答えた。

夕方になると市場の一角に構える屋台。殺害されたとき、ダニーボーイ・バウティスタはこの屋台でクィック・クィックを食べていた=2019年8月9日、フィリピン・コンポステラ・バレー州コンポステラ町で (C)Waseda Chronicle

国軍と警察が訪ねてきた

フヨナンはいう。

「あいつはいい奴だった。優しいやつだった。殺される理由はなかった。酒を楽しく飲み、人を尊敬するやつだった。仕事中、仲間に対して『みんなで頑張ってやろう、早く休めるぞ』と声をかけたりしていた」

バンで現場に駆けつけたレイマークス・マカフィス(28)は仲間のために差し入れでジュースを買ってくるなど、「親切で人柄もフレンドリーだった」と話す。

フヨナンは「何も悪いことはしてないし、責められることはしなかった。組合に入ってストをやっているから、やられたんだろう」

収穫グループは16人いて、その中でもダニーボーイは若い世代だった。ストに入った後は組合で警護を担当していたという。ストへの支援を訴えてあちこちを回っていた。

ダニーボーイには長女(15)と長男(13)が残された。

ナマスファの副委員長、エリザ・ディアヨン(34)らが、事件の日の夜にダニーボーイの自宅に出向き、妻に事情を話した。ディアヨンらによると、こんなやりとりが妻と交わされたという。

「葬儀の費用や生活費の支援をします」

妻は「ありがとう」といった。

その後、再び妻に会いにディアヨンたちが訪ねると、妻はうってかわった態度で「支援はいりません」と答えた。

殺害の翌日、国軍と警察が妻を訪ねていたという情報が、あとで組合に入った。この訪問の詳しい内容はわからないが、ナマスファ書記長のメロディーナ・ゴマノイ(43)は「国軍と警察が来てから彼女の態度は変わった。怖がっているんだと思う」。

それでも、葬儀のため豚半頭や米50キロなどを送った。

フヨナンは職場の仲間に「気をつけよう」「自分たちの身を守ろう」と呼びかけた。しかし、現在、フヨナンの16人いた職場から7人が組合を辞めた。

「怖がって辞めたんだと思う。家族から『怖いからもう辞めて』といわれたんだと思う」

副委員長のディアヨンはいう。「スミフルが関与したという証拠がないから、今は訴訟は起こせないが、組合をなくしたいという以外にダニーボーイが殺される理由は考えられない」。

屋台で売られていたクィック・クィック=2019年8月9日、フィリピン・コンポステラ・バレー州コンポステラ 町(C)Waseda Chronicle

「それを知ってどうするんだ」

私たちは事の顛末を聞こうと、コンポステラ町の中心部にある警察署に事件のことを尋ねに行った(*6)。

玄関の近くにいた警察官に、「去年、市場で男が死んだと思うが、その件について聞きたい」というと、彼は笑顔を消して真顔になった。

署長が対応することになった。

署長自らが案内し、2階の署長室に通された。

署長は「自分はまだ赴任して間もないので、事件を知っている捜査官を呼ぶ」といった。捜査ファイルを手にした捜査官を横につけた。英語とタガログ語で対応した。署長は私たちと話しながら、手元のスマホで何かのメッセージを打っていた。

「この町には銃撃事件はほかにもあるが、どうしてダニーボーイの事件なんだ?」

「このことを知ってどうするんだ」

しきりに取材目的を聞いてきた。

横の捜査官が地元のビサヤ語で署長に話していた。全ては聞き取れなかったが、「ダニーボーイはナマスファの組合員ではなく、ただのバナナの収穫者です」と報告していた。

これはうそだ。警察はダニーボーイを「通りがかりの事件被害者」として処理しようとしているのか。もしそうなら、ナマスファの組合員ではないほうが、彼の死をスミフルやストライキとは無関係な死として処理できる。

署長は「この事件は昨年11月13日に裁判所にまわった。警察では何も答えられない」と通告した。

警察署を出た後、スマホを持った私服の署員が露骨に私たちの帰る姿を撮影した。

コンポステラ町にある警察署の玄関=2019年8月16日、フィリピン・コンポステラバレー州コンポステラ町 (C)Waseda Chronicle

(敬称略、年齢は取材当時)

取材パートナー:特定非営利活動法人APLA(Alternative People’s Linkage in Asia)、国際環境NGO FoE Japan、特定非営利活動法人PARC(アジア太平洋資料センター)

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〈脚注〉

*1 フィリピンでは、エレメンタリースクール(6年間)とハイスクール(中学4年、高校2年間)がある。ハイスクールを卒業すると大学に進学できる。

*2 2019年8月9日午後5時頃。

*3 2018年11月3日付ダバオ・トゥデー(ウェブ版) “Slain worker’s death an assault to trade union rights – HR group.”

*4 「統一労組ナマスファ」組合員のレイマークス・マカフィスの証言。

*5 2019年8月15日。

*6 2019年8月15日。

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